限界を超えている現場で働いている人が知るべき7つのこと

1. 人生には様々な選択肢がある。
 「会社に言われたとおりに働く」のは、その中のごく一部に過ぎない。

2. 自分の働き方は、自分で決めるべきものである。
 ただし、その責任は自分で取らなければならない。

3. 自分の身は、自分で守るべきものである。
 過労死したら家族が訴えてくれるかもしれないが、あとの祭りである。

4. 人生には、仕事以外にもやらなければならないことがたくさんある。
 むしろ仕事しかして来なかった人は、10年もたつと大抵使い物にならなくなる(実体験!)。

5. 給料以上に働いても、それで得る見返りはごくわずかである。

6. もし会社を辞めざるをえないことになっても、意外と人生なんとかなる。

7. とは言え、限界を超えて働いた先でしか得られない経験というのは、確かに存在する。
 (良し悪しは別として)


これらを踏まえても、なおやるべきだと思える仕事に出会えたのなら、人生を捧げて働くのもいいでしょう。

限界を超えそうな現場のリーダーに知ってほしい8つの基本的なこと

1. 人は、働くと疲れる

2. 人は、疲れすぎると倒れたり、死んでしまうこともある

3. 人は、心の休憩も必要としている

4. 人は、主に給料のために働いている

5. 人は(特に日本人は)、嫌だと思っても正直に言えないことがある

6. 人は、仕事以外にもやらなければならないことがたくさんある

7. 人は、仕事以外にも大切なものをたくさん持っている

8. 今の仕事が失敗しても、別に誰も死にはしない


これらを踏まえてもなおやるべきだと思ったら、限界を超えさせてもいいんじゃないでしょうか。

缶詰物語


忙しい自慢はウザい話題の最たるものですが、それでもなお言ってしまうほど、最近めちゃくちゃ忙しかったです。
久しぶりに「仕事しかしてない」生活をしてしまいました。

上には上がいくらでもいると思うので、詳細は避けますが…。(悲しいですね)



ま、世の中には「やらなきゃいけない時」があるのは理解してるので、それはいいんですよ。
ただ必死に働いて再確認したのは、身を粉にして働いても、得るものは少ないということ。

仕事と休息にほぼ全ての時間を費やすような日々を過ごしてたわけですが、それで何かいい事あるのん?


普通に考えれば、会社の評価なり賞与なりに好影響が出るというのがあるのでしょうが、どーせそんなに変わらないですよね。

1.5倍働いたからと言って、せいぜいプラス評価は1割増しくらいが関の山。
そもそも労働時間に比例して評価を上げてたら、あっという間に会社は破綻するし。


大体この手の頑張ったで賞の評価って、一部のリーダーか目立つ人だけにスポットが当たって、他の人は無かったことになりますよね。

だって「みんな頑張ってる」んだもん。
相対評価はクソなので、やめたほうがいいですよ、ホント。

まあ、そもそもいい歳なので、こういう評価される事自体避けたい所ですが。


繰り返しになりますが、企業には猛烈に頑張らなきゃいけない時があるのは分かってるので、それはそれでいいんですよ。
ただ、その分の見返りはきちっとしてほしい所です。

よく、外国人はWIIFM(What's in it for me? → それで私にどんなメリットがあるの?)を大事にする、と言われています。
(使い方合ってる?)

でもそれって当たり前の話で、「皆大変そうだから」とか「会社のために」とかじゃ、いい仕事はできないと思うんですよね。
少なくともプロではない。

日本人ももうちょい、「で、それやるとどんなメリットがあるんですか?」って言っちゃっていいと思うんだけどなあ…。

(今度言ってみよう)

不治の病

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不治の病

実は自分は不治の病にかかっている。

通称「OTM」、すなわちOppai Tui Michau病である。

特に意識せず、普通に会話しているだけなのに、気づくとOppaiを見てしまっている。
この病気がいつまで経っても治らない。


あちらも非常に不愉快だろう。
大変申し訳無い。

だが一言言わせていただくと、そこに一切の邪念はない。

なぜなら自分は胸より尻派だし(監獄学園の理事長とはいい友達になれる)、そして何より、3次には興味ない

であるのに、なぜか視線が引きつけられて、逆らうことができない。
これが病気でなくて一体何なのか。


これを自覚してからは、対策として、意図的に視線を逸らすようにしている。
だって相手に悪いし。

したがって、もういい年なのに、女性と話している時は変にキョドキョドしてしまうわけである。

こうしてまた世に一人、不審人物が生まれてしまうのであった。
残念。

 


 

以上、私は紳士なので上記の文章はだいたいフィクションなわけですが、この糞文が何かというと、自らのノルマを守れなかった戒めによるものです。

自分は今まであまりにアウトプットということをしてこなかったので、その練習として、今年は「毎月1本ブログを書く」という目標を掲げていました。

が、5月分がいつまでたっても書き上がらず、さらに6月も一週間たつのに進展がない。
そこで何でもいいから無理矢理書いてみたところ、出来上がったのがコレ。オワッテル。

どうせ誰も見てないようなものだし、もっと気楽に書ければいいのに、何でこんなに時間かかるかねえ…。


なぜブログが書けないかというと、ひとえに「書きたいことがない」からです。
もっと言うと、世に発信したいことがない。

結構色んな体験や感動はしてるはずなんですが、なかなか他人に伝えようとまで思えないんですね。
昨今SNSやらなんやらで情報発信が流行ってるけど、そこにエネルギーを割ける人は、本当に凄いと思います。嫌味ではなく。

もう長いこと独り身なので、こんな性格になってしまったのでしょう。
(恋人どころか友達すら居ない、ある意味本当の独身)

あっ、こっちの方が人として終わってる。

 
以上、一時間早起きして、出勤前に糞を一本無理矢理ひり出してみました。

一応まだ頑張るつもりだけど、次の更新は、もう無理…かも…。

 

一致団結♪ 団結♪

朝会しよう、そうしよう

うちの会社では、いわゆる「朝会」を取り入れてます。

朝一で全員が、昨日やったこと、今日やること、今抱えている問題を共有するやつです。
まぁよくあるやつですね。

ですが特徴的な点としては、なんとこれを40人規模でやっていることです。
なので朝会だけで、都合30分くらいかかってしまいます。

しかもうちの会社では複数プロジェクトを掛け持ちしてる人も多く、そういう人は倍々で時間を取られていきます。
かくいう自分も3つ掛け持ちしてるので、なんと毎日90分を情報共有のために消費しているわけです。

……長くね?

 

非生産ノキワミ、アッー

非効率な定例会議は、かくも簡単に時間を奪っていくわけですね。
今日も一日時間を無駄に使ってしまったぞい。

さて、ここからが本題です。

「じゃあやめろよ」っていう話なんですが、というかもっと上手いやり方があるはずなんですが、ここの改善がなかなか難しい。
その理由は、チームの「仕事は全員で協力しながら進めるべきだ」という価値観が邪魔をするからです。

(例)
朝会に時間がかかり過ぎてるので、他の方法を考えませんか?
例えば各職種のリーダーだけで話してもらって、あとはそれを個別に展開するとか。

でもそれだと、個人のアラートを見落とすかもしれないじゃん。
全員が全員のことを知っておくべきだ。
皆で一丸となってやろうよ。

いやでも、実際かなり非効率なことになってますよね?
事実この朝会の時間がなければ、かなり仕事を進めることが出来ますよ?

お前は自分の仕事が進められれば、他の人はどうでもいいのか。
効率より協力の方が大事だろうが。この非国民め!

ちょっと脚色してますが、おおよそ実話です(泣)。
ていうか、リーダーだけでMTGして職種ごとに展開するのって、一般的なやり方だと思うんですけどねえ…。


おにいちゃん、何ですぐ協力するん?

そりゃあ協力することは大切なことです。
(ほとんどの人は)一人では出来ないことを成し遂げるために、組織に属しているわけですから。

でもこれが、「全員で」協力を「しなければならない」になると、全然話が違ってきます。

我々は何のために協力するのか。
言うまでもなく、より大きな成果を上げるためです。

そう、協力をすることは手段であり、目的ではありません。
間違っても、協力をするために協力をする状態になってはいけないのです。

上の例で言うと、別に自分の仕事をさっさと終わらせたいから提案したわけではありません。
その方が最終的なアウトプットが大きくなると判断したからです。

世の中には、ある程度一人で進めたり、まるっと任せたほうが良い仕上がりになる仕事ってあると思うんです。
何でもかんでも、全員で確認して一歩ずつ進めればいいわけではないのです。


まるでゴッコじゃの……

まあ言っちゃなんですが、結局これは「協力ごっこ」なんですね。
僕たちは皆で一体となっています、ああ何て素晴らしいチームなんだ、という。

ですが、全員が一丸となることと、全員が同じことをするのは、似ているようで異なります。
むしろ、全く逆のことと言ってもいいかもしれない。

各々が、今足りない物は何かを考え、そしてその中で一番貢献できることをやっていく。
それがチームの本当にあるべき姿です。

そして、その「足りない部分」や「一番貢献できる部分」を見つけるために、共有が必要なわけですね。

なので必要性も考えず、何でもかんでも共有しようとするのは、決して正しいことではないのです。
オブラートに包んだ言い方をすると、まぁもうちょい頭を使えと。


「共有や共同作業を最低限に留める」という発想は、実は大切なことなんじゃないかと思います。
特に人数が多くなった場合。

特に、何かにつけてすぐ「全員で」という話にしたがる人がいます。

が、もしその時間を使えれば、その人はかわりに何ができるのか。
それを決して忘れないでほしいのです。

 

終わりに

最近イラッとしたことがあったので勢いで書きなぐりましたが、どうもこういう「人間の善性」に関わる部分はやりづらいですねえ。
もうちょい合理的に考えてくれないかなあ。

さーて、会社行くかあ。

チョロい?チョロくない?

エイプリルフールということで、嘘をテーマにして一つ。

よく「どんなに言い訳をしようと自分に嘘はつけない」みたいな話がありますが、これってどう思います?

自分にとっては、悲しいことに完全に逆です。

正直言って、この世に自分自身ほど騙しやすい存在はないと思います。

 


 

自分を欺く時に最もありがちなのは、やはり「妥協」だと思います。

  • 今日中にこの課題をやりきる!→ 体調が悪いから明日にします
  • 今年中に英語を喋れるようになる! → 翻訳技術進んでるし、もうやらねくていんじゃね?
  • あたしぃ、将来絶対イケメンと結婚するの〜 → 普通の旦那も悪くないよね

いや、あくまで一例ですが…。

 

人が何かを決めた時に、それを無事達成できることは多くありません。

当たり前です。そんなに世の中甘くありません。

大半の場合は、何かしら軌道修正しながらゴールを迎えるわけです。

それは「柔軟」であるわけですが、同時に「妥協」な場合もあるわけです。

 

例えば上の例で言うと、「今年中に絶対英語をマスターする!」という目標を立てた場合。

正確な統計は知りませんが、大半の人は挫折してしまうわけです。
(じゃなきゃスクール業界がこんなに潤うはずがありません)

その時、人はプライドを保つため、失敗した理由を探します。

やれ「仕事が忙しかった」「他に大切なことがあった」「スクールの講師が悪かった」などなど…。

そして、その理由が真実かどうかを見極めるのは、とても難しいことです。

 


 

最近はすっかりアレな感じになっていますが、輝いていた頃の刃牙さんは、強大な父親に挑む心境をこう表現していました。

やらない理由も、やる理由も無数に用意できる
だからやる

最近はすっかりアレな感じになっていますが(2回言っちゃった)、これは本当に良い言葉だと思います。

そうです、理由はいくらでも用意できるのです。

英語の例だと、無茶な残業が続けさせた会社が悪いのかもしれない。
買ったテキストの内容が悪かったからかもしれない。
そしてもちろん、ただ自分の努力が足りなかっただけかもしれないのです。

 

ここで目をそらさず、きちんと自分と向き合える人こそが、自分に嘘をつけない人です。

おそらくスポーツ選手や俳優なんかは、きっとこのくらい自制心が強いんだと思います。

誰からも強制されず、自分で自分の為に、本当に必要ことをやってのける。
心から尊敬します。自分には到底真似できません。


ですが自分のような人間は(そしておそらくほとんどの人は)、都合が悪いとそれに見合った理由を挙げ、「じゃあしょうがないよね」と納得してしまいます。

もう眠いから、疲れたから、明日でも大丈夫だから…。

ちょっとずつちょっとずつ自分に嘘をつき、それを信じて生きていくわけです。

 


 

で、それが何かと言うと、「別にいいじゃん」という話です。

例えば、よくある「平凡な人生が一番」という言葉。

これはまあ、おそらく正しいと思うんですが、それを大して苦労してない人が言っちゃ駄目だろうと。

戦争とか、飢饉とか、若い頃にものすごい苦労した人がその結論にたどり着くなら、それは素晴らしいことです。
ですがこれを、平凡以外の人生を体験してない人が言っても、何の説得力もありません。

この言葉を使う人は、自分にそれを言う資格が本当にあるのどうか一度考えてほしい所です。

 

とはいえ、自分の平凡な人生に対して、「これが一番よかったよね」と思うのも、そう悪いことではないと思うのです。

例えそれが、言い訳でもなんでも。

例えば某海賊マンガの世界では、「海賊王に俺はなるッ!」という野望を持つ人がたくさん出てきます。

ですが海賊王になるには、ものすごい才能と、努力、かつ様々な運が必要になります。
99.999%の人はなれません。

では、海賊王になれないことに気づいてしまった人はどうすればいいのでしょうか。

一生「俺は駄目なやつだ」という思いを抱えて生きていくしかないのでしょうか。
もしくは、到底叶いそうにない目標に向けて、生涯無駄な努力を続けなければならないのでしょうか。

 


 

自分は今でも、甲子園などの高校生の部活の大会を見ると、胸がチクリと痛みます。

それは自分も若い頃は(野球ではありませんが)、そういった、たった一度のチャンスを目指して必死に努力をしたからです。

そして殆どの人と同じように、やはり挫折をしたからです。

ですがプロ野球選手になれなかった人は、生涯プロの選手に引け目を感じながら生きていくべきなのでしょうか。
そうではないと思います。

 

なぜなら人が生きる目的は、「初志貫徹すること」ではなく「幸せに生きること」だと思うからです。
もしくは、「次に何をするか」のために生きている、と言ってもいいかもしれません。

そして悲しいことに、大人になってからも、挫折したり妥協したりする機会はいくらでもあるのです。

何かの結果がマイナスに働くなら、嘘でもなんでも良いからポジティブに置き換えて、さっさと次に向けて動き出すべきでしょう。
その方が、ずっと素晴らしいことだと思います。

やりすぎると、ただのだらしない奴になるので、程度の問題ではありますが…。

 

だからラム推しだった自分がいつの間にかレムに乗り換えてても、寛大な心で許してほしいかな、うん。

 

早く帰りたい宣言

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残業したくない

昨日も9時半まで残業してしまったので、その勢いで書いてますが…。

近頃「残業せずに早く帰りたい熱」が高まっております。

「9時半に帰れるなんて早すぎぃ!」という人も「社畜乙!ブラック企業乙!」という人もいるでしょうが、とにかく自分は早く仕事を終わらせて早く帰りたいのです。

9時半なんて正気の沙汰じゃないです。
人間的な生活を送るには、遅くとも8時あがりが限界です。(それでも遅い?)

そのためには、時短スキルやら何やら色々あるようですが、まずは意識!
というわけで、早く帰るための意識や価値観について考えてみました。


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時間よりも成果

まず根本にあるのがこれ。
仕事の評価は、どれだけ働いたかではなく、どれだけ成果を出せたかで決まります。

いや、当たり前といえば当たり前のことなんですけどね…。

残業している人や、遅くまで残っている人が偉いわけではないのです。
例え毎日定時に帰っても、仕事をきっちり仕上げる人こそがキングなのです。

ここがズレてしまうと、「帰りたいけどみんな頑張ってるし帰りづらい……キョロキョロ」というふざけた状態になってしまいます。

やるべきことが終わったと思ったら、他の人が残業してても、堂々と胸をはって「お先にすんずれいします☆」と帰りましょう。


業務時間は短く出来る

時間で拘束される人は別として、サラリーマンには「業務時間は短くできる」という信念は必要だと思います。

仕事の選び方、工夫の仕方、スキル次第で、必要な時間は短くも長くもなる。
つまり、業務時間は自分次第ということです。

振り返ってみると、「この人デキるな…」という人ほど手早く仕事を切り上げていたように思います。
時間をコントロールすることは能力の証明である、と言ってもいいかもしれません。

限度はあるでしょうが、それでもいつまでも「残業が多いのは会社のせいだ!俺は悪くない!」なんて言っていてはいけないと思うのです。
(いや、ほんとに限度があるとは思いますが…)


早く帰るのは大変

勘違いしてはいけないのは、「定時になったら帰っていい」わけではありません。
全員がそんなことをし始めたら、早晩会社は潰れます。

正しくは、「定時までに仕事が終わるようにする」だと思います。

で、実はこれ無茶苦茶大変です。

昨今、一人一人に求められる成果はより大きくなっています。

そういった中では、集中力をピークに保つ、着手する仕事を選ぶ、スキルを日々磨く、効率性を常に意識する、などの様々な条件を満たした上で、やっと到達できる高いハードルが「定時上がり」だと思います。

何が言いたいかというと、義務は守れないくせに権利だけ主張するのはお門違いだということです。

終わりを意識せずにチンタラ仕事してるくせに、いざ定時になると「仕事が多すぎて回らないんですけど!(怒)」とか言い出す人は、まずは自分の働き方を見つめ直すべきだと思います。


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グッバイ社畜生活

自分はもともと残業上等、休日出勤上等の、結構な社畜人間でした。
刃牙で言うとJ・ゲバル級の社畜だったと思います。

入ったのがベンチャーで、まあそういう会社だったし、社会はこんなものなんだろうと思ってました。

朝から終電までヘトヘトになるまで働いて、仕事以外のことは何もせずに寝る。
休日は、疲れた体を休めるだけ。
そんな生活を送ってました。

最初のうちはこれでもいいんですよ。
仕事が身についていくのは楽しいですし。

問題は、そういう生活が3年、5年と続くうちに、それ以外の働き方が出来なくなってしまうことです。

仕事の成果を上げるためには、たくさん働くしかない。
なので他のやり方を学ぶ余裕がなく、その働き方をずっと続けるしかない。

そういった「仕事オンリー」な生活をずーっと続けた結果……。
得たものは、残念ながら「ほとんど無い」です。

会社は、頑張って仕事を覚えようとする新人には優しくしてくれるかもしれません。
しかし、結構なキャリアがあるのに毎日毎日終電間際まで働いてる人には、一転して「仕事が遅い人」という評価を下すでしょう(まともな会社なら)。

「早く帰れる」働き方を身に付けるには、時間がかかります。
出来るだけ早いうちから、そういう努力をしていくべきです。


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終わりに

日々の残業に対して、やれ社会が悪い、やれブラック企業だと言うことは簡単です。
ですが、いくら文句を言っても、不幸になるのは結局自分自身です。

かのドラッガー先生の名言に「時間は増やすことはできない」というものがあります。
(もしくは柴田ヨクサル先生の「天才でも凡人でも1日は24時間」でも可)

政府が働き方改革やら何やら動いてますが、そんなのを待ってる暇はありません(あんまり期待できないし)。
過ぎた時間は戻ってこないからです。

仕事をする事よりも、もっと良い時間の使い方、もっとやるべき事がきっとあるはずです。
そういったものを、できるだけたくさん見つけていきたいですね。

後悔と、自戒を込めて…。

あとあれだ、定時後に平気で会議を入れる人
ちょっとぶっ殺……考え方を改めて欲しいです (#^ω^)