チョロい?チョロくない?

エイプリルフールということで、嘘をテーマにして一つ。

よく「どんなに言い訳をしようと自分に嘘はつけない」みたいな話がありますが、これってどう思います?

自分にとっては、悲しいことに完全に逆です。

正直言って、この世に自分自身ほど騙しやすい存在はないと思います。

 


 

自分を欺く時に最もありがちなのは、やはり「妥協」だと思います。

  • 今日中にこの課題をやりきる!→ 体調が悪いから明日にします
  • 今年中に英語を喋れるようになる! → 翻訳技術進んでるし、もうやらねくていんじゃね?
  • あたしぃ、将来絶対イケメンと結婚するの〜 → 普通の旦那も悪くないよね

いや、あくまで一例ですが…。

 

人が何かを決めた時に、それを無事達成できることは多くありません。

当たり前です。そんなに世の中甘くありません。

大半の場合は、何かしら軌道修正しながらゴールを迎えるわけです。

それは「柔軟」であるわけですが、同時に「妥協」な場合もあるわけです。

 

例えば上の例で言うと、「今年中に絶対英語をマスターする!」という目標を立てた場合。

正確な統計は知りませんが、大半の人は挫折してしまうわけです。
(じゃなきゃスクール業界がこんなに潤うはずがありません)

その時、人はプライドを保つため、失敗した理由を探します。

やれ「仕事が忙しかった」「他に大切なことがあった」「スクールの講師が悪かった」などなど…。

そして、その理由が真実かどうかを見極めるのは、とても難しいことです。

 


 

最近はすっかりアレな感じになっていますが、輝いていた頃の刃牙さんは、強大な父親に挑む心境をこう表現していました。

やらない理由も、やる理由も無数に用意できる
だからやる

最近はすっかりアレな感じになっていますが(2回言っちゃった)、これは本当に良い言葉だと思います。

そうです、理由はいくらでも用意できるのです。

英語の例だと、無茶な残業が続けさせた会社が悪いのかもしれない。
買ったテキストの内容が悪かったからかもしれない。
そしてもちろん、ただ自分の努力が足りなかっただけかもしれないのです。

 

ここで目をそらさず、きちんと自分と向き合える人こそが、自分に嘘をつけない人です。

おそらくスポーツ選手や俳優なんかは、きっとこのくらい自制心が強いんだと思います。

誰からも強制されず、自分で自分の為に、本当に必要ことをやってのける。
心から尊敬します。自分には到底真似できません。


ですが自分のような人間は(そしておそらくほとんどの人は)、都合が悪いとそれに見合った理由を挙げ、「じゃあしょうがないよね」と納得してしまいます。

もう眠いから、疲れたから、明日でも大丈夫だから…。

ちょっとずつちょっとずつ自分に嘘をつき、それを信じて生きていくわけです。

 


 

で、それが何かと言うと、「別にいいじゃん」という話です。

例えば、よくある「平凡な人生が一番」という言葉。

これはまあ、おそらく正しいと思うんですが、それを大して苦労してない人が言っちゃ駄目だろうと。

戦争とか、飢饉とか、若い頃にものすごい苦労した人がその結論にたどり着くなら、それは素晴らしいことです。
ですがこれを、平凡以外の人生を体験してない人が言っても、何の説得力もありません。

この言葉を使う人は、自分にそれを言う資格が本当にあるのどうか一度考えてほしい所です。

 

とはいえ、自分の平凡な人生に対して、「これが一番よかったよね」と思うのも、そう悪いことではないと思うのです。

例えそれが、言い訳でもなんでも。

例えば某海賊マンガの世界では、「海賊王に俺はなるッ!」という野望を持つ人がたくさん出てきます。

ですが海賊王になるには、ものすごい才能と、努力、かつ様々な運が必要になります。
99.999%の人はなれません。

では、海賊王になれないことに気づいてしまった人はどうすればいいのでしょうか。

一生「俺は駄目なやつだ」という思いを抱えて生きていくしかないのでしょうか。
もしくは、到底叶いそうにない目標に向けて、生涯無駄な努力を続けなければならないのでしょうか。

 


 

自分は今でも、甲子園などの高校生の部活の大会を見ると、胸がチクリと痛みます。

それは自分も若い頃は(野球ではありませんが)、そういった、たった一度のチャンスを目指して必死に努力をしたからです。

そして殆どの人と同じように、やはり挫折をしたからです。

ですがプロ野球選手になれなかった人は、生涯プロの選手に引け目を感じながら生きていくべきなのでしょうか。
そうではないと思います。

 

なぜなら人が生きる目的は、「初志貫徹すること」ではなく「幸せに生きること」だと思うからです。
もしくは、「次に何をするか」のために生きている、と言ってもいいかもしれません。

そして悲しいことに、大人になってからも、挫折したり妥協したりする機会はいくらでもあるのです。

何かの結果がマイナスに働くなら、嘘でもなんでも良いからポジティブに置き換えて、さっさと次に向けて動き出すべきでしょう。
その方が、ずっと素晴らしいことだと思います。

やりすぎると、ただのだらしない奴になるので、程度の問題ではありますが…。

 

だからラム推しだった自分がいつの間にかレムに乗り換えてても、寛大な心で許してほしいかな、うん。